「質量への憧憬」は良くも悪くもデジタルネイチャーだった

みなさん、こんにちは!

管理人のピーディー( @PD_bloger )です。
 
 
ぼくは落合陽一が好きで、「Weekly Ochiai」を見るために NewsPicks の有料会員にもなりました。
 
彼の言葉はぼくのような凡人にはなかなか理解できないですが、人を退屈させない魔力が込められています。
 
 
さて、タイトルを見ていただくとわかる通り、落合陽一が開く個展「質量への憧憬」に行ってきました。
 
そこで見てきた感想をみなさんに共有するとともに、そのときに込み上げてきた「違和感」をつらつらと吐き出していきます。
 
だんだんとつまらない文章になると思います。ここはぼくのブログなのでこういう記事があっても、まぁいいかな。
 

天王洲 amana square へ向かう

1/25 金曜日の夜20時半の天王洲はとても静かで、amana square は「これぞ夜景スポット」と思える幻想的な空間でした。
 
しかし、今回は夜景撮影が目的ではないです。
 
 
1/24~2/6 まで開催される落合陽一の「質量への憧憬」という展示会を見に行くため、やってきました。
 

 
  
「けっこう人いるだろうなー」と思っていましたが、時間のせいか、10人ちょっとくらい。
 
個展を楽しめる、ゆとりある空間です・・・(本来ならば)。 ← 詳しくは後半
 
 
入ると、左手にはカフェがあり、右手には大きな花びらの写真が飾られ、中に進むと撮りためられてきた数百の写真と、謎にくねくねした蛍光灯、中央にはテレビが転がっている、まさに「異空間」が広がっていました。
 
 
ことばだけでは伝えられないですね。。。
 
詳しくは、実際に見に行ってもらうか、落合陽一「質量への憧憬」展 公式アカウント(Twitter) をチェックしてみてください。

あと、落合陽一のサイン入りの写真から本まで販売されているスペースもあります。
 
2枚ほど自分好みの写真があったので買ってきました 
 

  
他にも、道路、標識、看板といった落合陽一好みの写真なども1枚売りされていました。
  
 

あるあるカメラマン

少し話は逸れますが、ぼくは美術館、動物園、水族館といった類の場所がけっこう好きです。
 
それらの場は共通して「ある人達」で埋め尽くされています。
 
 
どんな人達」でしょうか。。。
 
 
 
  
特別な人達ではないです。
 
 
 
 
それは「SNS映えを狙ったスマホカメラマン達」です。
 
 
 
まぁ、あるあるですよね。ぼくも「いいな」と思ったら写真を撮ります。
 
 
 
でもね、彼らの中の大半が、
 
 
カシャカシャ」と平気でシャッター音をならして、その場の空気を乱すんですよね。
 
 
その乱れっぷりは見事で、ひとりが「カシャっ」と撮影し始めると、数秒後に別のところから「カシャカシャっ」、さらに数秒経つと「カシャ、ピコっ、カシャ、ピっ」とシャッター音が連鎖して広がっていくんです
 
 
ほんの1~2分で「スマホカメラマン」で空間が埋め尽くされてしまうんです。
 
 
この同調圧力と承認欲求の塊共が、まぁ~~ウザいこと、ウザいこと
 
 
 
彼らにひとことだけ言いたい。
 
 
「場を乱してまで、撮影した写真は見返す価値があるのかな・・・」

「SNS映え狙ったお前のクソ写真なんて、だれも見ないよ・・・」

「てか、せめて、シャッター音を消す努力はしようよ。そういう思考回路がないお前ら・・・ウザいよ」
    
 
蛍が見れるスポットでは、カメラをうまく使いこなせず、平気でフラッシュを焚くバカたちもいました。
 
「希少な蛍を撮るなら、カメラの使い方をググって、試し撮りしてから来いよ・・・」
 
 
 
・・・ひとことでは済まなかったですね。悲しいですが、まだまだ溢れてきそうです。
 
 
 
話を戻すと、今回行ってきた展示会も「スマホカメラマン」で溢れかえっていたわけですよ。
 
 
しかも、「カシャカシャ」シャッター音を鳴らし、展示されている写真をスマホで撮影している人たちの風景が滑稽というか・・・
  
  
落合陽一のオリジナル写真の販売には目もくれず、スマホでの撮影が終われば、帰っていく人たち。
 
 
こいつら何しに来たの?
 
 
Twitter を見ると、「落合陽一の個展に行ってきた」と自慢しながら写真を堂々と公開している人たちで溢れていました。
 
 
こいつらは自分の承認欲求を満たしたいためだけに、展示会の空間を乱し、それを自覚できていないのか?
 
 
帰宅中ずっと「モヤモヤ」していました。
 
  
そして、
 
わかった気がします
 
 
 
これが落合陽一が提唱する「デジタルネイチャー(人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構築された新しい自然)」なんだということを。
 
 
落合陽一をディスってぃるわけではないです。

スマホカメラマン・・・こいつらはディスってます。
 
 
「質量への憧憬」はこれらを含めてのアートだったんだなと、自分の中で言い聞かせると、心の中にある「モヤモヤ」が少し軽くなりました
 
   
 
補足:Weekly Ochiai で、落合陽一はお金は払える人にだけ払ってもらい、払えない人は無料で見てもらう場を提供したかったとコメントしていました。
 
これを聞いて、ダラダラ愚痴っている自分はちっちゃな人間だなーと思いました・・・
  

おわりに

こんなクソみたいな記事をここまで読んでくださった方がいるとすれば、あなたは仏でございます。
 
 
ここまでお読みいただきありがとうございました。

スポンサーリンク